共産主義ってなに?⑤ 共産主義は悪魔のイデオロギー

神は、家族を社会の一単位とし、人類社会の基盤と定めた。共産主義は、家族を私有財産や資本制度の部であるとみなし、それを破壊した。神は、人間に収入を得て生活する権利を授けた。一方、共産主義は私有財産を取り上げ、資産を没収し、税金を引き上げ、資本を独占し、完全に市民の経済活動を支配した。

神は、人類が持つべき道徳、政府、法律、社会、文化を定めた。一方、共産主義は「現存するすべての社会構造を暴力的に転覆する」ことを切望した。

神は、伝統芸術を通じて、自分のイメージを人々に示した。伝統的な芸術は人間に天国世界を想起させ、神への信仰を強め、道徳を高めると同時に徳を養う。一方、共産主義は、人類に現代風の創作物を拝ませる。それはわれわれ人間の中に息づく神性を潰し、替わりに邪悪な衝動を刺激する。下劣で醜く、奇形で、邪悪な、退廃した芸術は、人をカオス(混沌)と無秩序へ向かわせる。

神は、人間が神の創造物であること、また人間は常に謙虚で畏敬の念を持つべきであることを教えた。一方、共産主義は人間の内に潜む悪と傲慢さにつけこみ、神に反逆するよう仕向けた。人間が本来持っている悪の部分を拡大し、共産主義は「自由」の理念を推進した。それは道徳的制限も義務もない、全くの放任した自由だった。「平等」というスローガンを掲げ、人々の間に嫉妬と虚栄心を駆り立てた。なぜなら、人間は名声や物質的利益に弱い生き物だからだ。

~ 悪魔が世界を統治している より ~

所長視点)
いまの社会でも様々な文化活動や思想の中に共産主義が入り込んでいます。自由、平等、平和を掲げながら、人間性を失わせていきます。この見えない敵が悪魔であり、共産主義思想です。それを見抜き、克服するのが勝共思想であり、勝共運動です。いまこそ出番!

NO4 共産主義ってなに?④

悪魔がたくさんの名前を持つように、共産主義もさまざまな方法で姿を現す。悪魔は対立する両方の立場を擁護し、人々を騙す。全体主義と民主主義、計画経済と市場経済、言論の制限と制限のない言論の自由、同性愛への反発と同性愛の合法化、無茶な環境破壊と極端な環境保護、などである。それは暴力的な革命を主張する時もあれば、平和的な変革をめざす時もある。政治的あるいは経済的な制度に現れたり、芸術や文化に現れたりする。ある時は純粋な理想論を掲げ、時に冷血な策謀を取る。共産主義を実施する「全体主義」は、実は悪魔のたった一つの顔に過ぎない。マルクス、レーニン、毛沢東が実践したのは、悪魔が表したほんの一面に過ぎない。
18世紀、楽園社会主義が現れた頃から、世界にはさまざまなイデオロギーが生まれた。科学的社会主義、ファビアン社会主義、サンディカリズム(無政府組合主義)、クリスチャン社会主義、民主社会主義、人道主義、エコ社会主義、厚生社会主義、マルクス・レーニン主義、毛沢東主義。これらのイデオロギーは二つのタイプに分けられる。暴力的な共産主義と非暴力的共産主義である。非暴力的とは、緩慢に浸透し、じわじわと現体制を腐らせていく方法だ。

~ 悪魔が世界を統治している 「多面的な顔を持つ悪魔」 ~

所長視点)
一つの体制や人物が共産主義を代表しているわけではなく、それに騙されてはいけない。民主主義の中に入りこむ共産主義。様々なイデオロギーにも入り込んでいく。主張がどんなに正しくても、結果として分裂を引き起こしていくものの背後には、共産主義という魔物が潜んでいます。

NO3 共産主義ってなに?③

人間は神によって造られ、神の慈悲が人間を守っている。それを百も承知の悪魔は、神と人間の絆を断ち切り、人間を堕落させ、神が人間を見捨てるように仕向けた。悪魔は、まず神が人間に与えた伝統文化を破壊し、人間の道徳を堕落させ、神の済度に値しない歪んだ人間を量産した。

人間の心には、善と悪、神と悪魔の両方が宿っている。従って、人間は道徳の退廃を求めて堕落することもできるし、徳を積んで修練し、高みに上ることもできる。神を信じる人が道徳的な考えと行いを追及すれば、神は彼の正しい念(正念)を護持し、奇跡を顕す。神が人間の道徳向上を助け、最後にはその人間を天国へと迎え入れる。一方、道徳の退廃した者は利己的で、欲望、貪欲、無知、傲慢な人間となる。神はそのような汚い考えと行動を受け入れないため、悪魔はその隙につけいり、ますますその人間の利己心と邪悪な心を増長させる。邪悪がその人間を操り、悪行を重ねさせ、カルマ(悪業)を大量に発生させれば、彼の行先は地獄である。人類社会全体の道徳水準が落ちていくに従って、悪魔はさらにその傾向を加速させ、より多くの悪とカルマが発生し、人類を最終的な壊滅へと導くのだ。

~ 悪魔が世界を統治している 「共産主義のやり方と手段」 ~

所長視点)

結果として神様が働けば「一つになる」。悪魔が働けば「分裂する」。主義主張や現象だけみていては善悪は判断できない。100%善の人もいないし、100%悪の人もいない。どんなどきでも常に善と悪を分立していく必要があります