共産主義ってなに?⑦ 社会主義は共産主義の初期段階

 一方、全体主義ではない、社会主義を信奉する民主国家はどうだろうか。これらの国家はたくさんの法律を制定し、少しずつ市民の自由を奪っていく。まるで、ゆっくりと茹でられるカエルのようである。社会主義の体制を固めていくには、10年、あるいは数世代にわたる過
程が必要だ。その間、市民はその社会主義体制に慣れ、過去を忘れ、それがますますこの欺瞞に満ちた体制を強化する。この形式の緩慢な社会主義化は、暴力的なそれと本質において全く同じである。
社会主義は「平等の権利」を保障し、それを立法化するが、それはつまり道徳を引きずりおろし、市民がより善へ向かう自由を奪うことである。実際、人間は多様である。信仰、道徳の基準、文化的知識、教育水準、知能、精神力、勤勉さ、責任感、積極性、創造力、企業家精神などにおいて、人には本来個性がある。しかし、下層レベルにいる市民を一遍に上へ引き上げ、平等を強いることはできない。そこで、社会主義者は上部にいる人たちを制限し、人工的な「平等」を造るのである。道徳に関して、欧米の社会主義者たちはお決まりの言葉を使う。いわゆる「差別反対」「価値中立性」「ポリティカル・コレクトネス」を用い、基本的な道徳の判断基準を打ち壊す。これはつまり、道徳を破壊することに等しい。必然的に、この状況はさまざまな堕落した道徳の合法化、標準化を生み出した。つまり、反有神論、卑俗なスピーチ、性的倒錯、退廃芸術、ポルノ、ギャンブル、薬物などである。その結果は、神を信じる人や道徳向上を目指す人々に対する逆差別であり、これらの善良な人々が排除されてしまうのである。

~ 悪魔が世界を統治している より ~

所長視点)
社会主義が進んでいると言われている国では「ポリティカル・コレクトネス」という神なき平等という名目で家庭という枠組みが破壊され始めているという話を聞きます。愛の減少感からくる「平等」の主張。これを克服できてこそ、家庭連合が、日本の真のアベルになれるのだと確信します